ニュージーランド クライストチャーチ
- 2015/04/24
- 22:39
スタッフの梅津です。
先週は少しお休みを頂き、ニュージーランドに行って参りました。
2008年に帰国するまでの数年間、南島のクライストチャーチにいましたので、今回は友人・知人を訪ねることが目的でした。
クライストチャーチは別名ガーデンシティーと呼ばれ、ヨーロッパ的な雰囲気のある、花や緑の美しい街です。しかし2010年~2011年にかけて数回の大地震に見舞われ甚大な被害をこうむりました。
なかでも2011年2月22日に発生した地震では、多くの日本人留学生が犠牲になったことからも覚えている方がおられるかもしれません。
今回の訪問はあの震災から4年が経ち、街並みがどう変わっているのかを見るためでもありました。
まずは街のシンボルでもあるカセドラル。かつては毎日この姿を眺めながら仕事をしていました。

この教会も地震で倒壊し、今はこのような姿になってしまいました。

また、かつて職場のあったビルも取り壊され、更地になっていました。

このあたりは街の中心部で高いビルや建物が密集して人通りが多く、とても賑わっている場所でした。
けれども地震により多くの建物が倒壊し、今はほぼ全てが解体され更地となっています。
あまりにも何もなくなっていたため、一体ここは何だったろうか、としばらく茫然としてしまいました。
4年がたっても復興が進んでいない状況にとても驚きました。それでも、新しいビルやコンテナを積んでできたショッピングモールなど、新名所となる場所も出来始め、新しいホテルやモーテルなどの宿泊施設もオープンし、少しずつでも観光客が増え活気が戻りつつあるのを感じました。


こちらは仮のカセドラル。
日本人建築家の板茂氏により建てられた紙管の教会です。こちらも観光客が次々訪れていました。

街の中心部はすっかり変わってしまいましたが、このような風景は今も変わっていません。
街中を流れるエイボン川の畔にはカモがのどかに歩いていました。
そして、毎日通勤時に眺めていたポプラの木々は以前より大きくなっているようでした。


市内の一部地域は居住禁止区域になり、家々がなくなっていたり、まだ取り壊されずに傾いたままの家屋なども見られました。
地盤沈下や道路のゆがみなど、いまだにそのままの場所も多く、完全復興には少なくとも10年以上はかかるようです。
友人の中には住んでいた地域が居住禁止区域になり、やむなく家を明け渡した人も何人かいます。それぞれの苦労は想像しがたいものですが、それでも皆元気に再会できたのは本当に嬉しいことです。
震災から4年、日本でも仮設住宅で暮らしていたり、原発の影響で地元に戻れない方々がまだまだ沢山いらっしゃいます。
日本もニュージーランドも、1日も早く復興を遂げ、安全に暮らせる街並みが戻ることを祈っています。
最後に、ニュージーランドで良く見られる鳥プケコ、野生です。
滅多に飛ばず歩いています。

目白鍼灸院について
先週は少しお休みを頂き、ニュージーランドに行って参りました。
2008年に帰国するまでの数年間、南島のクライストチャーチにいましたので、今回は友人・知人を訪ねることが目的でした。
クライストチャーチは別名ガーデンシティーと呼ばれ、ヨーロッパ的な雰囲気のある、花や緑の美しい街です。しかし2010年~2011年にかけて数回の大地震に見舞われ甚大な被害をこうむりました。
なかでも2011年2月22日に発生した地震では、多くの日本人留学生が犠牲になったことからも覚えている方がおられるかもしれません。
今回の訪問はあの震災から4年が経ち、街並みがどう変わっているのかを見るためでもありました。
まずは街のシンボルでもあるカセドラル。かつては毎日この姿を眺めながら仕事をしていました。

この教会も地震で倒壊し、今はこのような姿になってしまいました。

また、かつて職場のあったビルも取り壊され、更地になっていました。

このあたりは街の中心部で高いビルや建物が密集して人通りが多く、とても賑わっている場所でした。
けれども地震により多くの建物が倒壊し、今はほぼ全てが解体され更地となっています。
あまりにも何もなくなっていたため、一体ここは何だったろうか、としばらく茫然としてしまいました。
4年がたっても復興が進んでいない状況にとても驚きました。それでも、新しいビルやコンテナを積んでできたショッピングモールなど、新名所となる場所も出来始め、新しいホテルやモーテルなどの宿泊施設もオープンし、少しずつでも観光客が増え活気が戻りつつあるのを感じました。


こちらは仮のカセドラル。
日本人建築家の板茂氏により建てられた紙管の教会です。こちらも観光客が次々訪れていました。

街の中心部はすっかり変わってしまいましたが、このような風景は今も変わっていません。
街中を流れるエイボン川の畔にはカモがのどかに歩いていました。
そして、毎日通勤時に眺めていたポプラの木々は以前より大きくなっているようでした。


市内の一部地域は居住禁止区域になり、家々がなくなっていたり、まだ取り壊されずに傾いたままの家屋なども見られました。
地盤沈下や道路のゆがみなど、いまだにそのままの場所も多く、完全復興には少なくとも10年以上はかかるようです。
友人の中には住んでいた地域が居住禁止区域になり、やむなく家を明け渡した人も何人かいます。それぞれの苦労は想像しがたいものですが、それでも皆元気に再会できたのは本当に嬉しいことです。
震災から4年、日本でも仮設住宅で暮らしていたり、原発の影響で地元に戻れない方々がまだまだ沢山いらっしゃいます。
日本もニュージーランドも、1日も早く復興を遂げ、安全に暮らせる街並みが戻ることを祈っています。
最後に、ニュージーランドで良く見られる鳥プケコ、野生です。
滅多に飛ばず歩いています。

目白鍼灸院について
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